写真ってすべてを写せているようで、何も写っていないときがある。
愛した人の写真を見ても、あなたの表面しかそこにはない。
苦しくても笑っている振りをしている。
声が出なくなるまでぐちゃぐちゃになった顔ではない。
真剣に私を見つめてくれていたまなざしも、
緊張して冷や汗が止まらなくなっている肌も、
食べ過ぎて全く動かなくなって一点を見つめだした目も、
ほんとうのあなたはどこにもいない。
私の記憶のなかだけに眠り続けて、ふとしたときに現れる。
唐突に出会ってしまうものだから、準備もできなくて一瞬だけ時が止まる。
だから写真を撮ろうとするとき、「ほんとう」は写っているのだろうかと考えてしまう。
どうせ一度も振り返りもしないまま廃れて消えていく写真たち。
忘れないでと声を出すこともなく、ただただ新入りに上書き保存されていく。
じゃあ、なんでわたしは今日も写真を撮っているのだろう。
変なことを考えながら、撮った写真たちがなんだかかわいそうで、ときどきフォルダを開いて写真を見返してみる。
写真ちゃん、息している?と問いながら、スクロールしていく。
そうすると、自然と思い出すことはなかった過去が蘇えったりする。
1枚の写真だけで、音も香りさえもふんわりと流れる。
そうか、写真って記憶取り戻し装置なのか。
すべてを写すことはできないけれど、何も映ってないかもだけど、
すべてあるんだ。
だから、撮るんだ。
忘れないためじゃない。
あなたを、過去を、思い出したいから。
意識せずに、切ない想いがシャッターを切らせる。
抗わずに流れるままに、写真を撮ることに意味があるのかもしれない。